静穏な環境で生活する権利

西東京いこいの森公園(2010年7月2日撮影)(c)Maki Shimizu
西東京いこいの森公園(2010年7月2日撮影)(c)Maki Shimizu

今日、次のようなニュースが目にとまった。

子どもの声 騒音規制見直しへ

 子どもの声も騒音だとして保育園などに苦情が寄せられるケースが相次ぐ中、騒音を条例で規制している東京都は、子どもの声を抑制するのは発育上、望ましくないとして規制の対象から外すことも含め条例を見直す方向で検討することになりました。

 東京都は、住民の生活環境を守るため、条例でさまざまな騒音を規制していますが、子どもの声も騒音だという苦情が相次ぎ、中には、条例を根拠に保育園や公園の設置者に騒音の差し止めを求めるケースもあるということです。

 一方、条例を運用している市区町村に尋ねたところ平成20年度以降、およそ7割の42の自治体で子どもの声がうるさいなどと幼稚園や保育園に苦情が寄せられていましたが、多くの自治体が子どもの声については規制はなじまないとして基準を緩和するか、規制の対象外にすべきと回答したということです。

 さらに、保育の専門家からは「声を抑制するのは子どものストレスになり、発育上、望ましくない」という指摘があることなどから東京都は子どもの声については規制の対象から外すことも含め、条例を見直す方向で検討することになりました。

 東京都は今後、自治体とも協議を重ね、早ければ来年にも条例の改正を行いたいとしています。

子どもの声を「騒音」に分類すべきであるかどうかという問は、私の記憶に間違いがなければ、すでに平成19(2007)年秋の「西東京いこいの森公園」の噴水をめぐる係争とともに公共の言論空間に姿を現していたものであり、これ以降、都市における生活騒音が1つの問題となったように思われる。(この事件については、以前、短い論文を書いたことがある。)

2007年10月5日の「朝日新聞」の夕刊には、「公園の噴水遊び『騒音』 東京地裁支部 女性の訴え認め、使用中止」という標題を持つ次のような記事が掲載されている。

東京都西東京市緑町3丁目の「西東京いこいの森公園」にある噴水で遊ぶ子どもの声やスケートボードの音がうるさいとして、近くに住む女性が市に対して噴水の使用とスケートボードで遊ばせることをやめるよう求める仮処分を申請し、東京地裁八王子支部がこれを認める決定を出していたことが分かった。決定は1日付で、市は2日から両施設の使用を中止している。

市によると、噴水は噴水候から水が噴き出し、水の間を縫って遊べる構造。女性の家は公園に隣接し、噴水からは数十㍍の距離にある。都条例で同地域の騒音規制基準は日中で50デシベルと定められているが、市が女性宅付近で測定したところ、噴水で遊ぶ子どもの声が60デシベル、スケートボードの音が58デシベルと、ともに基準値を上回っていたという。

女性は心臓などを患い療養中で、噴水で遊ぶ子どもの声などが精神的苦痛をもたらすと主張。これに対し、市は、子どもの声は基準値を超えても受忍限度を超える騒音にはあたらないと主張していた。

決定書では、基準値を10デシベル上回る現状は苦痛をもたらしていると認め、市は、工夫次第で子供たちが歓声を発することのない形の噴水を設けることは可能だったとした。

その後、この女性は亡くなり、噴水の使用が再開されたため、今度は、女性の親族が訴訟を起こしているようである。

私自身は、子どもの声を規制の対象から除外すべきではないと考えている。なぜなら、公園、公道、幼稚園、飲食店などにおいて大音量で発せられる子どもの声が周辺の住民の静穏な生活を送る権利を毀損していることは、それ自体としては疑いのない事実だからである。反対に、子どもの声が規制の対象から除外されることにより、この措置が「子どもの声でありさえすれば、いくら大きくてもかまわないし、いつどこで発せられてもかまわない」という誤ったメッセージとして流通するようになり、公共の空間において子どもが発する(突き刺さるような高音の)声について「うるさい」「静かにしろ」などと言うことが憚られたり、子どものいる隣家に対し夜間に静かにするよう求めることを悪と見做すような「空気」が作られることを私は怖れる。

もちろん、静穏な環境で暮らすことに認める価値は、人によって異なるであろう。たとえば、みずからが子育て中の大人、したがって、子どもが在宅しているときには子どもの声が四六時中耳に入るような環境で生活している大人なら、静穏な環境で暮らすことに大した価値は認めないかも知れない。それどころか、このような立場の大人にとっては、耳に届く子どもの声は、家族の健康や安全を確認するために必要な手がかりですらある。

しかし、それとともに、「西東京いこいの森公園」の噴水の停止を求める仮処分を申請した女性にとっては、静穏な環境で暮らすことの価値は、無視することのできないものであったに違いない。西東京いこいの森公園は、東京大学原子核研究所の跡地に作られたものであり、この女性は、開園のはるか以前から(したがって、原子核研究所とともに)同じ場所で暮らしていたようである。そして、この女性が病気を抱えていたことを考慮するなら、静穏な環境で暮らすことは、もっとも優先して実現されるべきことであったと想定するのが自然である。この女性の立場に身を置くなら、誰でも同じように考えるであろう。

私自身、自宅を仕事場にしているが、家の前の公道で近所の子どもたちの大声には日々悩まされている。隣家の子どもが夜中に騒ぐ音を耳ざわりに感じることもある。鉄筋コンクリートの分厚い壁を通して私の耳に外から届く音は、私の生活をいくらか攪乱するかぎりにおいて明らかな騒音であり、常識の範囲を超えて継続するなら、何らかの対策を講じることが必要になる――ある限度を超えると耐えられなくなる――性質のものである。

子どもの声が規制の対象でなはなくなったとしても、子どもの声が騒音ではなくなるわけではない。況して、「子どもの声でありさえすれば、いくら大きくてもかまわないし、いつどこで発せられてもかまわない」ことが万人に認められるようになったわけでもない。当然、子どもの声によって生活を攪乱されている人々は、法的な手段に訴えることができなくなれば、問題を――たとえば実力行使のような――私的なインフォーマルな仕方で解決しようとするようになるはずである。これは、健全な社会にとり、決して望ましい事態ではない。

子どもの声をめぐる利害は、人によって異なる。したがって、「声を抑制するのは子どものストレスになり、発育上、望ましくない」という理由によって子どもの声を騒音の規制から外すなら、このような条例改正は、子どもの声によって生活を攪乱される惧れのある人々の同意をあらかじめ得られるような何らかの措置――公園や幼稚園の場合ならアセスメントのようなもの――と一体のものでなければならないであろう。そして、このような措置が現実的なものではないのなら、子どもの声は、あくまでも騒音の規制の対象にとどめられるのが適当であるように私には思われるのである。

追記1(2014年10月2日)

「子どもの声を規制の対象としない」という措置が「子どもの声でありさえすれば、いくら大きくてもかまわないし、いつどこで発せられてもかまわない」と受け取られかねないという懸念は、すでに西東京いこいの森公園の噴水の使用中止を求める仮処分に関する裁判所の決定に記されている。

この問題について、西東京市は、「子どもの声を騒音としてとらえる感覚自体に問題がある」旨の反論を裁判所において行った。これに対する裁判所の回答は、次のとおりである。「一定の音量を超える子どもの声が騒音であることは自明である(市の主張に従えば、上映中の映画館内で騒ぐ子どもを制止することも許されないことになる)」(「子どもの声は騒音?」、「朝日新聞」平成19(2007)年10月11日朝刊)。

追記2(2014年10月2日)

たしかに、騒音に関する条例によって子どもの声を規制することは、条例の本来の趣旨に合致するものではないかも知れない。しかし、これまで、この条例は、子どもの声に苦しめられている人々の「最後の手段」として用いられてきたように思われる。

子どもの声がうるさいからと言って、最初から法的な手段に訴えることは稀である。住宅地では、「お隣さん」の関係が長期間にわたって続く可能性が高く、大抵の場合、静かな環境を求める側は、最初は、問題解決のために、すべての当事者が少しずつ我慢することを提案するはずだからである。幼稚園で遊ぶ子どもの声が問題なら、たとえば、「子どもが騒いでかまわない時間と子どもを静かにさせる時間を設定してもらいたい」というような申し入れが最初に行われるに違いない。しかし、それでも最終的に子どもの声を騒音と見做し法的な手段に訴えるのは、法的な手段に訴えざるをえないからであり、音の発生源となる側が「ゼロ回答」、つまり、すべての当事者が少しずつ譲り合うことを内容とする妥協案を受け入れないからであると考えるのが自然である。

「子どもの声は騒音である」などと不用意に口にすれば、これが少なくはない人々の神経を逆撫ですることは確実である。誰でも、できることならこのような電流の走る論点には触れずに問題を解決したいと考えるであろう。環境基準というのは、他の(無難な)可能性を試し、すべてが不首尾に終ったときに頼らざるをえない最後の論拠なのである。

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“静穏な環境で生活する権利” への2件の返信

  1. 騒音のご意見、全く同感です。
    こんな的確な意見、はじめてみました。

    1. 親切なコメント、ありがとうございます。
      子どもの声の問題については、いろいろな意見がありうると思います。
      1つの考え方として、何かの参考になれば幸いです。

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